台湾人の知人が亡くなる
知人が亡くならないと更新しないブログになりつつある。

お世話になった方が亡くなられた。台湾の数え年で50歳、つまり49歳。
彼には酒やウソばかり教えられたが、「台湾人」に対するファーストインプレッションは彼だった。繊細で見栄っ張りで明るく寂しがり屋な人だった。仕事はいい加減でいいわけばかりで任せられなかった。
良いところのお坊ちゃんで、周りからの承認欲求を欲していた部分があったと思う。それが晩年の日本での仕事で少しでも解決できていたのであれば良かったと思うし、仕事に打ち込める部分があったからこそ癌の発見が遅れたのかなと思う。
コロナウィルス蔓延が一時的に小休止できていたために参列できたのは本当に幸運だった。

---

書籍「影響力の武器」を読書中。
多くの商法は添付図のような「承諾先取り法」を使う。
クルマであればセールスマンが値引き・サービス・高い下取りを約束して販売契約寸前まで持っていき、そこで急に上司などからそれらの約束が履行できない事を知らされる。客は自分がこの車を気に入ったから契約するのであり、些細なことを気にする人間ではないことを証明するためにそのまま契約してしまう。

この策略に自分で気付く事ができる方法は「今知っていることをそのままに、時間を遡ることができれば同じコミットメントをするだろうか」で気付く事ができるらしい。

条件が変更されたら、一度その場を離れて「ディーラーを訪れた時間に戻ってこの条件で自分が契約するだろうか?」を考えることで「承諾先取り法」から逃れることができるそうだ。

---

自分は今の知識を持ったまま過去に戻ってコミットメントを変えることがあるだろうか?

自分自身で大きな判断・コミットメントを行ったのは

1) 結婚すると決めたこと
2) (相手の浮気で)離婚すると決めたこと
3) 転職する先を決めたこと
4) 大恋愛をしたこと
5) その相手と別れたこと

4にたどり着くためには1,2,3が必要なために、あえてこのルートを取らざるを得ないし人生を繰り返せるとしてもこのルートを選びそうだ。
5を避けるためには自身が相当の価値ある人物にならなければならず、これは知識の問題ではなく、精神の問題で難しい。過去に戻ることができるとしても結局今の人生のルートになりそうである。
 先輩が昨晩亡くなられたと先程連絡がありました。
 大学時代では一つ上の先輩で、彼は二浪だったか三浪だったかで入学されたので、僕からすると年齢はかなり上の人でしたが、どんな時もどんな相手にも丁寧に下手から話されていて、今は自分のいくらかの部分が先輩から強い影響を受けていたのだなと感じています。

 僕は部活の体育会系ともカルトとも付かない空気や、部活で行われる強制的な飲み会が本当に嫌で、すぐにでも退部したかったのですが先輩は僕を多くの外部団体に紹介し、突っ込んで、それぞれで役職に就かせて場所を作ってくれました。
 部活内の人からしても外部団体への出向者(私など)が栄達すると予算などで優遇されるため、部活内でも居場所ができたため最後まで部活を続ける事ができました。
 留年の原因になったので今となれば良かったかどうかはわかりませんが、大学時代の部活が楽しかったのは亡くなられた先輩のおかげであったと思います。

 卒業後は氷河期世代であるため、職を転々とされた後は間借りではありますが自分の店を持たれて頑張ってらっしゃったとたまに帰国した時に連絡を取って聞いていたのですが、昨年から発症したガンが脳に回って…と聞きました。
 連絡をしてこられた先輩の親友の方も精神を病んでると数年前亡くなられた先輩から聞いていたので、大丈夫かな、後追ったらアカンでなんて事を電話口で考えながら聞いていました。

 もう少し運動しよう。もっと勉強しよう。何より人生を楽しもうなんて事を今考えています。
ポーターの競争優位性について
エッセンシャル版マイケルポーターの競争戦略をやっと読み切った。
授業において他の生徒さんや先生とマーケティングについて話していても会話に齟齬があり、場合によっては会話が成り立たず危機感を持ち、これに取り掛かって読み切って正解でした。

結論から言うとマーケティングへの知識が私がドラッカーで止まっていた事が食い違いの最大の原因でした。
ドラッカーは組織がちゃんとイノベーションを起こし続ける組織であり続ければその商品は自然と顧客に最適化され、売れ行きは伸びていくといった内側からの改革の思想です。

マイケルポーターの戦略は内外の二種あり、外側の戦略が顧客を限定したポジショニングマーケティング。内側の戦略がバリューチェーンを主体にした経営戦略。

外側のマーケティングで標的とする顧客を定め、それ以外の客からは意図的に不満を持たれるようにする。
そして標的とする顧客に対して内側の経営戦略(バリューチェーン)を最適化する。

マクドナルドを例とするなら、まず外側の戦略で富裕層や健康的な食事を求める層・ゆっくり食事を楽しみたい層を捨て(不満を持たれるようにする)て、早く・安く食事を取りたい層を標的顧客とする。
次に内側のバリューチェーンを早さ・安さに合わせて最適化調整する。

この内外のつながりがわからずに丸一か月悩んだ。
自分なりに表にしてみたのが添付図である。

なんとか理解できたので、一歩進めるのがうれしい。

猿の部長 読了

2020年6月1日 読書
 シンニホン読み切れたのは、猿の部長のおかげである???

 毎週中国語とMBAの授業を受けていて、知らない事だらけであるため毎週1冊くらい読んでいる。目がちかちかしながら頭痛をこらえつつ読んでいた。
 先週「東大生も絶賛読書のコスパを最大化するワザ」という怪しげな記事を読んで、使ってみようと思い立ち二冊同時に読み始めた。
 一冊は先日から続いてる超大作の「シンニホン」641ページ。もう一冊は「転生したらSpreadsheetだった件」の作者が推していた猿の支配する世界に異世界転移してマーケティングの力でのし上がっていく「猿の部長」198ページ。

 猿の部長の話のテンポのはやい事はやい事。気が付くと読み終わっていた。だいたい三時間くらい。その速度を保ったまま、シンニホンにかかり、後半をやっつけた。

 積読にならなかったのは猿の部長と東大生様様です。

 マーケティングがファクトが無く誰も証明していないのに崇められていてシャーマニズムと大差ないようにしか思えなかった自分にとっては猿の部長はとても良い入門書でした。
 マーケティングはKKD(勘経験度胸)だけでやってきた販売戦略や商品開発に対し、ファクトとまでは言わないけど考え方や方向性を示すものだとわかった。
 TOWS分析などは今週末の授業から使ってみたいと思う。
 先週のMBAの授業の予習の際に脳内で快感物質が激増するsparkleが起こった。授業の内容に関わるので言えないが、一週間くらい悩んでいた三つの疑問点が一つのポイントを通じて繋がり、解決策に繋がった。

 たまたまその後の授業においても、元々発表の予定は無かったし、時間が押していたにも関わらず、その解決策を発表する機会を先生に与えていただいて脳内快感物質が溢れる経験をした。

 現実のビジネスにおいてや、書籍や映画を読んでいてもこんな経験はなかなか無く、この前飛んだのはシュタインズゲートゼロだったか三体だったか、星を継ぐものだったか?と思い出していたが、その一時間後くらいに安宅和人のシン・ニホンを読んで同じsparkleが発生したので、たぶんここ数日は脳内にティアマト彗星が飛んでRADWINPSのコンサートが行われているのだと思う。

 安宅和人は「イシューからはじめよ」で知って、自分の口癖に「イシュー」を加えた人である。この方は頭が良く先が読めるにもかかわらず論理の作り方がとても綺麗で、飛び飛びの論理になって他人に考えを話してもうまく伝わらない自分とは大きく違う。

 長い厚い本だと言われていたが、読み始めてすぐアウトプットしたくなった。自分への流入情報量が多すぎるのだ。

 自分は人生の折り返しを過ぎ、多くの事柄は目で見ても脳に焼き付けられない。だがシンニホンはたった二割読んだだけで、脳への流入がキャパシティを超え、書き出したくなった。

 導入部の今の日本はダメだ部分については全く同感で、そこはどこでも読める話が多くあまり頭に入らなかったが、途中から米国株などがコロナ下でも上がっている原因は未来価値を買われているのが原因で、未来価値は主にICT技術によって作られAIの発展を待っているAI-Ready状態にどれだけなっているかが大事だと書かれている部分から脳細胞がやっと働き始め、AI技術の説明の部分でAIと言っても

 情報導入 → 処理技術 → それをどう使うか

 の三部分があり、処理技術はたぶん海外の物を使わなくてはならなくなるだろうが(ExcelとかAndroidのように)、そのAIソフトウェアを使ってどのようなビジネスを行うか、また多種多様なAIソフトウェアを組み合わせて何を作るか(google mapを使ってwebサイトを作る等)はまだまだ開拓の余地があるとの点で頭のキャッシュが尽きたが、そこからも慣性で読み進め

 AI時代になにを作るかについては、大きな発想の飛躍が必要で、タケコプターやどこでもドア、SFや巷に溢れる異世界小説などのような「妄想力」が必要で日本人にはその妄想があふれているため、日本の巻き返しはそこが糸口になるのではという所まで読んでSparkleした。

 他にも自分は品質管理の問題で他国のOEM工場へ行き、工場の方から日本人の品質へのこだわりはキモいとよく言われていて、すみません、すみませんと謝って品質向上をお願いしていたのだがそれは大きく間違っていた事が分かった。

 中国の量産技術、インドやアフリカの人件費の安さ、アメリカの先進性などに勝たないと生き残っていけないのだ。
 1980年代日本車が世界で勝てたのは、品質ではなかった。アメリカ車の内装とパワー、ドイツ車の高速安定性に日本車は全く太刀打ちできていなかった。日本車が勝てたのはアメリカ車やドイツ車とは違う価格の安さと燃費の良さで戦ったからだった。

 「海外で勝つには今は品質のポイントしかないのだ。ここを高いレベルに保たないと勝てないし、生き残れない。OEM先工場がもしこの高いレベルに慣れれば世界とも戦える!」と謝るのではなく、もっと熱く語るべきであった。目的意識を持たせるよう語るべきであった。という所でもSparkleしてた。

 ティアマト彗星飛びすぎでしょ。

PS4修理

2016年10月11日 ゲーム
PS4修理
・PS4® 使用中にディスクが勝手に出てきます
https://goo.gl/jTPgZg

の症状が続いていた。ディスクを排出するモーター音が常に動いていたが、本体は遠方においてあったためおよびDLゲームしか使っていなかったので自分で遊ぶ分には全く気にしていなかったのだがこのたび妹夫婦にこのPS4を譲ることになったために修理することになった。

対策として2016年10月現在では二通りが有名である。

1、静電気対策
http://jin115.com/archives/52040668.html

2、熱暴走対策
https://youtu.be/uDsGdPHLHm4

結論としてはどちらも試したがうまく解決しなかった。
しかし、分解し解決したので記しておきたい。自己責任でお願いします。

・分解
まず下記ページ方法に従って分解する。

http://junkenemy.com/2016/08/01/post-750/

「・電源ユニットを外します」の手前まで進める。(電源ユニットは外さない)
できればファンの調子や各部の掃除もしておくと良い。

・接触部の改善
ここまでで静電スイッチは既に本体から外れている。だが、配線を外した記憶は無いはずだ。本体と静電スイッチを繋げているのは小さな金具(写真青四角内)と、本体側ヒートシンクを兼ねたプレートの溝部分(赤四角内部分)である。
自分の場合はヒートシンクに錆が発生しており、金具とうまく接触していなかった。
仮説だが接点が外れかけて火花が散って錆になったのではないかと思う。

小さなネジ三つで付いているヒートシンクを外し金属ヤスリで錆をこそぎ落とし、その後青四角内の金具を外側へ(赤四角内ヒートシンク溝とより接触するように)広げる。
これで接触面積が大きく強くなり、容易に静電スイッチが入らなくなる。
無くても良いが、できれば接点復活スプレーなどがあるとさらに良いかもしれない。

妹宅に行く予定のPS4は今のところ順調です。

日本語学校

2016年8月9日 台湾
年をとると昔話が多くなる。

2002年頃、日本語学校というものの調査をした事がある。
海外在住の父親が日本語学校をやりたいので、
どのようなものか調べてきてくれと言われたので体験入学してみた。

入学先の学校は父の知り合いだった記憶がある。

・教室
教室は基本的に手作り、小学一年生の教室を思い出せる方は、ほとんどそれに近い。
あいうえお表、「あ」で始まる単語、「い」で始まる単語等を絵で表した表などが壁に所狭しと並んでいる教室は先生の卵の方が課外時間に自作するらしい。

例えばアフリカに行って日本からあいうえお表を取り寄せるのもコストが合わないし、
日本でメジャーな「『う』で始まる『うどん』」等の単語は見たことのない人には適していないので
ローカル化するためもあってか自作するらしい。

・授業
最初は単語を絵で書いて、三回言って、
両手でcome here!(どじょうすくい)のようなハンドジェスチャーで
発音を真似てもらうのが一般的らしい。

「りんご、りんご、りんご」(どじょうすくい)
のような流れで授業が進んでいた。

個人的には大阪弁のアクセントを出さないようにするのが難しそうに思えた。

・結局
90分の体験入学だったが、30分で追い出された。
メモを取り過ぎて偵察に来たと思われたらしい。そのとおりなんだけどね。

父親にメモをまとめてメール化して送った記憶がある。

結果としてはうまくいかなかったそうだ。
さすがに聞きかじりで見たこともないのに始めるのは無理だったのだろう。

なぜ急に古い話を思い出したのかを書いて締めたいと思う。

先月今通っている中国語学校から教師のオファーがあったのだ。
世辞も含めてだろうが教師向きらしい。
説教じみた性格だし、先祖代々教師なのでそうなのかなとは思うが
日本語教師というのは海外では底辺職と言われるので、できるだけ避けてみたい。
#日当は2000元(6000円)を提示された。一般台湾人月給75000円と比較するとかなり高い給与のように思う。

上海出張が重なったためどうしてもスケジュールが合わなくて断ったのだが
来月から少し暇になるので考えるだけは考えてみようと思う。
友人から依頼があったため、追加します。
質問内容は「店舗外販売先でいい所ないの?」という質問でしたが
よく聞くと、「衣類の売り上げを上げるにはどうすれば良いの?」という事についてでした。
質問して貰ったおかげで頭の中が久しぶり整理できたので以下まとめます。


売り上げを上げるために


衣類販売、特に低単価の衣類販売においては流れ作業の確立が重要な要素の一つです。大量に入荷されてくる衣類をいかにお金に替えていくかという作業ライン(バリューチェーン)を作っていかなければ利益に繋がりません。客層毎、店舗毎に最適なバリューチェーンというのは違ってくるため個々に最適化していって下さい。
以下の文章は最適化されつつあるバリューチェーンを再考し、新たに作業を加えることで売上を確立する方法論となります。


売場で売上を立てるためには一人時間当たりの売上高を上げる必要が有ります。
特に安価な中古衣類販売は労働集約型であるため、時給あたりどれだけ売る事ができるかという事が大事です。
一時間ずっと売り場をぐるぐる服を畳んで品出しするだけで一人当たりいくら儲かるのか?を毎月必ず計算します。

次に売上を伸ばすために、大きく三つの方策があります。

a,人手を増やす
b,売場面積を増やす
c,単価を上げる



a.人手を増やす

一人当たりの儲けが十分あり、人手を入れることで売上を伸ばせるのであれば一人時間当たり売上高が下がってこない間は人手を増やし続けましょう。余ってくるようになると以下の仕事を割り振っていきます。新規にその仕事のために人手を雇うことは推奨しません。あくまで既存スタッフを鍛えて売場管理をさせ、その下に新スタッフを付け、空けた時間に追加業務というスタイルを取らないと問題が発生します。


b,売場面積を増やす

売場面積を増やすというのはバックヤード等を潰したり、店頭に展開したりなど単純に売場を増やす方法とは別に高さ方向に売場を増やしたり、店舗外販売をすることも含みます。

高さ方向へは子供服を除いて二段が限界です。客の身長を忖度し、丁度良い高さを設定しましょう。上方向に伸ばす際は必ず十分な数の脚立を売場に配置して下さい。

店舗外販売とはそのままの意味で古着買い取り業者に販売したり、ヤフオクで販売したり、フリーマーケットで販売する事を指します。


b-1.オークションで販売

一店舗につき必ず一人はオークション販売スタッフが必要です。
週5日出勤で時給1000円x8hで計算すると週4万円、ここから労働分配率を30%とすると
40000/0.3=13万円程度の売上が必要です。
売れない時期やスタッフの急な休み等でヘルプに回る時もあるため、週一人当たり15~20万円の売上を目指しましょう。
週売上を達成するために発送日・梱包日等を集約させます。担当者が一人であれば週一か週二くらいのペースが良いでしょう。
商品は可能であればブランド別にIDを分けた方が効果的です。しまむら製品と西松屋製品を主に出品している出品者がダイアナの靴を出品しても高値が付かないでしょう。
大きく単価の高い物、安い物だけでも分けるべきです。
後は出品を繰り返すうちに作業は効率化されていきますが、出品にかかる時間を縮めないと売上を達成するための出品単価が下がらないことに注目下さい。

例えば一時間で二点出品でき、週に発送日を除く4日x7時間作業可能だとします。
すると、出品可能点数は週56個。週売上15万を達成するには2678円の単価が必要となります。

このように100円のものでも出せば良いというスタイルであれば、人件費と梱包費で赤字になります。

b-2.オークション外注化
そのため、オークション販売を外注化します。
店頭にポスターを貼り、オークション外注スタッフを募集します。

店舗で売れない一定量の衣類を重さなどの単位で販売します。外注はその単価で購入し、自分のオークションIDで販売します。店舗から購入した金額以上はすべて外注さんの儲けになるため、赤字にならないように販売するモノを調整して入れてあげるのが良いでしょう。
例えば傷の大きいブランド物などはオークションでは売りにくい(トラブルになりやすい)ですが、店頭では売りにくい外注さんが好きなブランドの品などを入れてあげると喜ばれます。
90リットルのゴミ袋いっぱいで300円~500円くらいが外注さんが利益の出るラインなのでその程度で売ってあげると喜ばれると思います。

外注さんは小さい子供がいて外に働きに出られない奥様層に依頼するのが今のところ最も成功率が高かったように記憶しています。

b-3.フリーマーケットで販売
まず、車を入れられるフリーマーケットのチケットを購入します。そして大量の針金ハンガーと売場設営のできる人手を最低二人居れば販売可能です。百円均一で販売すれば簡単に量を裁けます。問題は人手の人件費とフリーマーケットのチケット代が高く付くことです。これをクリアするため、フリーマーケット側と親しくなり、客寄せのために出店依頼されるようにしたり、売場から離れている間接部門スタッフを使ったりすると良いでしょう。

b-4.同業他社に持ち込み
堂々と同業他社に持ち込むのもアリです。
私が店長していた際は、周辺店の店長とは親しくしていたので挨拶して何度も持ち込んでいましたし、周辺店からも真偽確認のための査定だけの持ち込みなども暇な時間であれば受けていました。特に買取量が減っている店舗ではバリューチェーンを働かせるためにどのような買取であっても嬉しい物です。

b-5.古着買い取り業者
b-1,2,3,4の以上の販売網で売れ残ったものだけを買い取り業者に販売していました。最低二社以上は買取業者と契約しましょう。買取業者の今後の利用内容により買い取り価格が変わるため、デニムやネルシャツをよく使うパッチワーク業者にはそれらを分類してあげると、高く買ってくれます。それらが分けてあるだけで二社以上と契約していてもマメに店舗へ引き取りに寄ってくれるようになります。

以上どのようなモノであっても何度もフルイに掛けるだけで利益(バリュー)を生み出すことができるという話でした。

ただし、以上を行うにはすべて人手が必要です。
そのため、第一に書いたように真っ先に確保するのは人手です。一人時間当たり売上高が下がってこない間は人手を増やし続けましょう。
手が空きはじめた者へフルイの仕事を振っていくことで一人時間当たり売上高を確保し全体的な売上高を増やし続けましょう。

c.単価を上げる
これは、必死で取り組むべき問題です。
毎日どうすれば単価を上げることが出来るかを必死で考えていきましょう。
人手を増やす一人当たり売上高が時給に接近しているような余裕が無い店舗はまずこれに取り組むべきです。

単価をもし上げることが出来れば、
・一人当たり時間売上高が伸び、ゆっくりと仕事ができます。
・人手を増やすことができ、新たな仕事に取り組めます。
・売場を圧縮せず、ゆったりとした売場が作れます。

単価を上げるには以下記事も参考にしてみて下さい。


「売るには」
・各コーナーでお客さんのテンションがあがる雰囲気作りをしよう
http://37942.diarynote.jp/201301051923572077/
・棚に空きを作らないようにしよう(120%埋めよう)
・恐れず在庫を持とう(一億円の在庫の店と500万円の在庫の店)
http://37942.diarynote.jp/200907251006315068/
・商品化のスピードを上げよう(即出しの原則)
http://37942.diarynote.jp/200608050803050000/
・独断で「売らない」ことを決めない(全出しの原則)
・値下げして売らないため必死で頭を働かせよう
・月商+10万のための気の利いた二つのやり方
・右のものを左にするだけで売れる(脳には「見えていない」)
http://37942.diarynote.jp/201004080616512760/
・30:70の法則(効果の高い値下げのやり方)
・高く販売したほうが売れる三つの法則
・売れない時期は売れない。すぐ叩き売らない(我慢の原則)
・近隣同業店よりも高く売る特殊割引のサービス
http://37942.diarynote.jp/201207240054002730/
・ジャンルをまとめるだけで売れないものが売れる
・売り場整理をしよう
・接客をしてみよう(一見接客と常連接客)
・セット販売を極めよう
・売る場所は店舗だけではない(店外との販売ルートの確立)
・売れている商材を伸ばそう
・ヤフオクとのうまい付き合い方
・何があっても売り切らない!商材を少し残そう

「買取を増やすには」
・POP、チラシ、すべてに買取金額を明記しよう
・買取予定本数に到達したら販売価格ではなく、まず買取価格を値下げしよう
http://37942.diarynote.jp/200907251041434468/
・近隣店調査を欠かさないようにしよう
・集まりにくい商材は新品仕入れも視野に入れてみよう
・新しい買取方法を提示してみよう
・聞かれたものは売れるもの、常にアンテナを張って買取告知をかけよう
・オークション等で人気の商材を集めてみよう
http://37942.diarynote.jp/201004080543073754/
・毎月新しいものを集めていることを告知していこう

「専門」
・衣類売上高を伸ばすには
http://37942.diarynote.jp/201408211235447489/

「総合的に」
・売り上げ目標の数字を意識して動いていこう
・売り上げグラフから近隣の給料日や小遣い日を推察して行動しよう
・スタッフの使い方について
http://37942.diarynote.jp/201302010209385076/
・常に手持ち仕事を三つ持とう
http://37942.diarynote.jp/201004080526216933/
・「ボトルネック理論」を常に頭において行動しよう
http://37942.diarynote.jp/200907250944409622/

台湾生活の日常

2014年4月8日 台湾
・体重が減らないので通勤を歩きに変更しました。
・近所の山に登りに行きました。
・女性関連の話はまったくなし
・最近中国語をさぼり気味

こんなところです。
あんまり何も進展してませんが、日記書くのは日本の伝統らしいので書いています。
やはり、三年目で伸びが止まりますね。
もうひと伸びしたい所です。

直近の予定としては

・設計を覚えようかな?
・日本に行く予定があるかな?

くらいでしょうか
取り急ぎはそんな感じです。
・言語
聞くほうは難しい単語を使われなければわかるようになったけど、話すほうはまるでダメです。
ダメな部分がどこかすらよくわかっていない状態です。
つまり相手からの問いかけには答えられるけど、こちらから主張できない状態。

・食事健康体調について
やっと慣れてきて、おいしいもの・ダイエット食がわかるようになってきました。
うまく配分して体重を減らしたいです。現在79.8kg。
台湾に来てから宴会ばかりだったので12kg太りました。

・仕事
新人アシスタントを付けてもらって、わりと良い関係になってきました。
我が強く、自分が理解し納得したことしか翻訳しないアシスタントですが、逆に考えれば理解し納得してもらったら自分ひとりで動き出すので放任主義の僕と相性が良いように思います。
台湾国内は不況らしく新規案件はありませんが、日本から台湾製品を購入したいという人は多いようで仕事は忙しいです。

・猫
幸せそうです。
朝8時起床、8時半僕を見送ってから再度就寝、夕方五時ごろ起床、僕を迎えてひとしきり遊んでから夜九時就寝。僕が遅くまでゲームしていると「寝ましょう」と呼びに来ます。
部屋が広いのが良いのだと思います。

こんな感じで生きています。

今年の目標は...減量と言語習得かな。

あ、販売士の資格更新に日本戻らなきゃね。
台湾到着。
飛行機下りて後荷物置き場まで通常通りに来る。

その後荷物受取ベルトの近くのキャセイのカウンターまで行き書類一式を見せる。
少し待ってくださいと言われ15分ほど待つとキャセイの方が猫を連れてきてくれたので
それを受け取り、同じフロアの動物検疫所まで持っていく。
持っていく際に出して抱いたりしてはいけないよと忠告される。
が、猫の家がひっくり返って猫の居住スペースが無くなっていたので
猫の家を元に戻し彼女のスペースを確保する。

動物検疫所で猫の首のマイクロチップの確認と猫を出して毛色の確認があり
書類を三枚程度書いた。
ここらへんで到着後一時間経過。

書類書き終わるとそのうちの一枚をくれて
日本に連れて帰る際はまた必要だよと教えてもらえる。

バイバイと言われたので、終わったと認識し通関手続き。
猫を出して見せて下さいと言われたので出したら隣を通ったスチュワーデスにガン見された。
通関の方はキャリー内のホッカイロを確認していた。

それから外に出ると自由の身。
半日近く監禁されると思っていたので拍子抜けだった。

一週間後電話がかかってきて家でちゃんと飼っているか確認しに行きたいとの事。
90日以内に在宅確認する義務があるようです。
在宅確認はまだ来ていないので来たらまた書きます。
当日朝動物検疫場所まで書類と猫を連れて行く
関西空港では8時30分頃から獣医さんがスタンバイしてくれているようだ。
30分程度で診察終了。
具体的には
・書類に名前記入
・猫の色を確認
・猫の首に入れたマイクロチップの読み取り
・書類確認

以上を15分程度で終了。
その後書類作成していただいたものを持って空港へチェックイン。

キャセイパシフィックを使用したが、搭乗者追加の手荷物扱いとなるため
追加料金として5000円弱の支払いのみで済んだ。
#要事前予約

猫とはチェックインカウンターでお別れ。
キャリーバッグには張るタイプのホッカイロを底面に貼り、その上に毛布を置いて
その後猫の小さな部屋も一緒に入れておいた。
これは失敗でしたが

猫を台湾に連れてくる台湾到着編に続く

初受注

2013年2月1日 お仕事
商社マンとして初受注(仮受注です)。
昨年九月くらいからのお話で、ゆっくりゆっくりの話でしたが
やっと受注できました!(まだ仮受注です)

深夜ですが、上司にメールしてしまいました。
ほぼ利益なしの仕事ですが、少しでも社に貢献できたので嬉しいですね。

台湾に来て9ヶ月赤字とXXを垂れ流すだけの存在だった自分にも
なんとか光明の見えた日です。
白髪発生止まるといいな。

香港仕事終了

2013年1月23日 お仕事
アメリカから中国製品の買付をする仕事のため
香港から中国の東芫入りしていましたが、なんとか仕事がまとまったようです。
プロジェクト始まったのが9月頃で、足掛け5か月。
注文書をまだ貰っていないためまだまだ油断はできませんが
一大イベントはどうにかやりきったようでひと安心です。

全部終わってから顧客より実は別ルートでも見積頼んでいたんだけど
御社に出すよと言ってもらえたので嬉しかったですね。
来週今年初めて、人生二度目の中国行き
日本帰省前の最後の大仕事!と書けばわりと大変そうだけど
実質は上司の付き添い。
この案件をここまで持っていったのは僕の力量だけど
最後まとめられるのは上司だけ

まだまだってことですね、上司はこの仕事を13年やってるので
色々と学ばせてもらう予定です。

場所はまた広東省。
クラクション鳴らす人が多いのが嫌なくらいでそんなに悪いイメージは無い。

前の広東省行きの際は中国語が全くわからなかったが
今は少しだけわかるようになったので、違う結果だと思う。

中国語の技術的な面で言えば前の方が高かったように思うけど
その頃に比べてハートが強くなった。
昔のように緊張していると相手の言葉が右から左へ素通りしてしまうが
今はリラックスして聞けるようになったことで、単語を拾えるようになっている。

一文で三分の一聞き取ることができれば、
行動と併せてだいたい文の意味が予測できるので
今後もリラックスしていきたいと思う。
審査が終わった。

結果として必要だったのは
・自分のパスポートの写真
・狂犬病予防注射済書類(英文)を撮った写真
・六か月以上飼っていた証明(英文)を撮った写真
・パスポートを撮った写真
他 搭載機及び猫(血統・体重等)情報詳細

以上だった。オンライン審査は楽で良いですね。
メール二度やりとりしただけで終わった。

基本的には英語。
途中から中国語に変えてもらった。お互いに不得意な言語だとたまに齟齬が出る。
たくさん言われ、パニックになるリスクと言い忘れられて問題になるリスクを考えた結果だ。

といっても何も無かった。ほんとに何も問題になからなった。

今は日本側審査中。日本側の方が細かいように思う。
母が飼っていた猫を台湾に連れてくることになった。
妹の家庭は子3歳、犬三匹で正直飼うことが難しいためだ。
移住を決めたのが12月11日。
母の葬式等色々あって遅くなり、狂犬病注射を打ったのが12月25日。
2月19日の飛行機で移住予定だ。

まず第一に行う事は猫を獣医に連れて行き、麻酔を打ってもらった上で
・マイクロチップ
・狂犬病予防注射(非活性)

の注射をしてもらう。

マイクロチップは郵送登録式のために登録に時間がかかり、
狂犬病注射は注射後30日以上一年未満でないと搬送不可能のためだ。

その後は以下四か所と常時連絡を取り合うこととなる。

・獣医
・台湾側検疫
・日本側検疫
・航空会社

簡単だったのは航空会社だった。
自分が日本から台湾に行く便に一緒に載せてもらう予約が出来れば
#必ず予約が必要、自分は航空券購入後すぐに予約しました。

アジア間であれば 1キロあたり、10USD程度で運んでもらうことが出来る。
#カーゴ+猫体重で6~8kg程度。つまり、8000円以下で運んでもらえる。

別途航空便を頼むと40000円前後掛るため、できるかぎり一緒に移動したい。
日本側検疫はANIPAS、台湾側検疫は犬猫進口同意文件線上申請を利用した。
どちらもオンライン申請システムで、申請時に検疫場も予約できる。

日本側に必要な書類に
・台湾側受け入れ許可証
・七日間以内に発行された健康診断書
が含まれるため、日本側申請は最後回しとなる。

これにより台湾側申請を優先する。必要な書類は
・狂犬病予防注射済書類(英文)を撮った写真
・六か月以上飼っていた証明(英文)を撮った写真
・パスポートを撮った写真
他 搭載機及び猫情報詳細

以上。
すべて揃えてから5日間の審査期間がある。

今審査期間中だ。
問題なく終わるように進めていきたい。

台湾日記

2013年1月5日 台湾
海外駐在して9か月
2012年3月に到着後、いきなり台中に出張三回。
週に3回以上の宴席。
この時から徐々に昔の飲み方を思い出しつつあったように思う。
大学時代入っていたクラブでも毎週飲み会があり、
すごく弱かったがどうにか逃げ切っていた技を徐々に思い出していった。

4月はほぼ生産を委託した金属加工品に問題発生関連の仕事。
加工レベルが低く問題が多かったのだ。

自分には生産管理ノウハウがないため、総当たりで全品検査した。
そんな思い出しかない。
金属の匂いと、蚊に悩まされた4月。

5月になり納入した日本製品の問題解決と展示会巡りのため日本出張。
日本での食事や飲み会時胃が痛かった思い出がある。
正直なところ食事のマナーの細かい点で他人を見下す文化はあまり好かない。

その後上司の通訳として納入した製品の受け渡しのため
日本から直接アメリカへ飛ぶ出張の予定が
上司が台湾にてトラブル発生の為台湾に戻ることになり
なぜか入社二か月の自分一人でアメリカに行くことになる。

アメリカで納入し仕事を終え台湾に戻ると大学付属の中国語学校に入ることになる。
通学時間が二時間かかるため毎日4時起床、5時発。
12時に会社に入り 17時30分帰宅というスケジュールを
5月から結局6か月間続けることとなった。

大学は9月に一度休暇があり、その期間中に大陸へ出張。
この時は日本語を解さない台湾人と一緒に出張した。
技術に不安のある台湾人と全てに不安のある自分。
問題発生したが、大きなトラブルにはならなかった。

帰還後また仕事と言語学習の毎日。

12月の休暇時にはベトナムへ出張。
こちらは中国語を話すことが出来る上司と一緒だったので要求されるレベルは低かった。
技術面で少しトラブルもあったが結局は問題なく終了できた。

12月11日 母親死去
そのため日本へ一時帰還する。

この際二週間の休暇と航空券を貰った。

12月25日から仕事復帰 といっても数日仕事したら30日より冬期休暇
1月1日まで3連休を貰う。

休暇中カウントダウン、温泉、友人の家へ招待していただいての食事、初詣等
色々と心が平常に戻るよう知り合った皆に手伝ってもらい多少楽になった。

1月2日から仕事が始まり今日は1月5日。
昨晩は日本人客1,中国人1,台湾人1と自分で食事会だった。
半分中国語半分日本語のチャンポンで話していた。

日本を離れてから激動だったように思う。
自分が海外で受け身受け身でありつつ、かつ周りの助けを多大に貰ってであっても
仕事ができていることがまだ信じられないでいる。

まだ全然中国語が聞き取れないからコンビニ行くのも怖いし、給油も怖い。
新しい店も怖いし、よく行く店も怖い。話しかけられるのは怖い。
自分に言ってるのか隣の人に言ってるのかわからないから多人数が怖い。
一対一のほうがまだマシ。たまに話しかけられるエレベーターも怖い。

普通の店でもしっかりメンタルトレーニングして予習して
気分の乗っているときに「いくぞ!」と決めて行く。
たまに想定外の質問されたりして聞き取れないし意味わからないしで涙目になる。
しばらく「もう行くもんか」「もうだめだ」と落ち込む。
それらの痛みを忘れた頃にまた行く。

多少問題があっても殺されることはない
行きづらくなるだけ。
自分の痛みを忘れたころを狙ってまた行く。

2013年もネガティブでありながらも少しだけでも前に行ってみたい。
日本に居る時より、自分がちょっとづつ能力が上がっているのが実感できている。
これはちょっと幸せだ。
もっと成長して他人を助けてあげられるようになりたい。


後日注記
2009年2月にマズローさん引用していいことを書いていた。

人は安全を求めて退却するか,成長を求めて前進するかを選ぶことができる.
 成長するには繰り返し選択する必要があり,恐怖は繰り返し克服されなければならない.

アブラハム・マズロー

http://37942.diarynote.jp/200902270207009048/
これは自分でも今まで意図的に書かなかった部分でもあります。
人の問題については非常にたくさんの本が出ていますし
自分自身でも「人を動かす」以上の文章を書ける気はしません。
その上、人それぞれリーダーシップの発揮方法は違います。
下手に出てまとめる人やその逆の人、アイデアだけで引っ張っていくカリスマ
長時間苦痛を伴う作業をスタッフとともに行うことで背中で語られる方など
この業界で様々な魅力的な人に出会いましたが、自分がそれらの方に変わる事はできません。

ですが、私が伸びる店のリーダーに共通する点だなと思い出した点がありました。
それはスタッフの欠点ではなく良い点を元に配置するという事です。

例えば笑顔以外は全く能力の無い子が居たとして
他の仕事は与えず、販売接客能力だけを磨かせる。

陳列だけが綺麗にできる子が居たとして
レジには入らせず、陳列ばかりをやらせる。

リーダーは彼らの動きの欠けた部分を補うように動く。
陳列の子とシフトに入ればその子の代わりにレジ等販売作業を行う。
販売の子とシフトに入ればその子の代わりに他の作業を行う。

これはドラッカーの言う『強みに集中せよ』です。

「不得手なことに時間を使ってはならない。強みに集中すべきである。
無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりも、
はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする。」


リーダーには人材の能力を見抜くことが求められます。
見抜き、専門家として任せ、育てることで店に売り場に特色が出ます。
系列店にもお客さんにも~店には~さんが居ると言われるようになります。

リサイクル店は特に多才に使おうとして結局無能なスタッフばかり育てている方をよく見かけます。
こんな誰にでも取って代わられるような人間育てて面白いだろうか?と現役時代は思ったものです。

母葬儀

2012年12月11日 日常
母が亡くなった。以下かなり長いです。
ほぼ備忘録。

時系列にそって書いていく。

某国で日本人と会談中に妹から電話があり「死んだ」との事。
仕事を中断し、上司に忌引きの許可を取る。
来週から取る筈だった一週間の休みと合算し2週間の休みを貰い
次の日の航空機のチケット(高額だったようだ)も手配して貰い
そのまま帰宅。

妹から不審死だったため警察が解剖したいと要請してきたと連絡がある。
許可する。

妹の旦那さんと葬儀についてskypeで話す。
イオンの葬儀サービスを出してきたので、任せられると判断して任せる。

妹もしっかり者だと思っていたが、第一発見者だったため動揺が激しいようだ。

インターネットで葬儀関連を検索し帰国時やらなければならないリストを列記する。
決めるべき点とその許容範囲が広すぎて煩雑すぎる。一人でのコントロールを諦める。

喪服着て、挨拶だけしっかりやれば30代の喪主としてはどうにか及第点だろうと
自分の中で割り切る。妹の旦那さんにほぼ全部任せよう。

次の日帰国。JALだったので日本語圏への移行がスムーズだったように思う。

最寄り駅に妹に迎えに来てもらう
廊下で低血糖で倒れ冬の寒さで凍死したとの検死結果を受ける。

確かに日本の寒さは室内の廊下でも死にそうだなと思う。
これも孤独死の一つなのかな?とか、
老人が息子夫婦と同居したいわけなども理解できた。

たしかに誰かと同居していれば倒れた物音でわかっただろう
低血糖で倒れている間少しは海外に送り出した息子や、
近くに住む娘夫婦の事なども頭をよぎったろうなと思う。

ニートのように一緒に暮らす母子の方が良かったのかな?などと
少し悔恨の念があったので3歳になる息子が居る妹に尋ねてみた

行ってほしいし、行ってほしくない。半々じゃないの?
と返ってきた。
そんなものかな?なんて思い、少し心が楽になった。

妹のかかりつけ美容師さんに髪を切ってもらう。
思ったよりもイケメンにしてもらった。ありがたい。

妹旦那が通夜の手続きを全てやってくれる。
葬儀会館の進行主任にあいさつは一度きりと伝える。

通夜では行わない。二回分も話のネタがない。
どうせ通夜葬式ともに出席者は同じ。
挨拶は一度だけ、ハズレなし鉄板のをやろう。

通夜はほぼ出席しただけ。
下を向いて来て戴いた方と話して、それで終わり。

お願いしたお寺さんは尼さんだった。男勝りだった母にはいいかもしれない。
お寺さんに20万渡す。通夜+戒名代+葬式+初七日分。
相場からすれば破格の安値だということだけど良くわからない。
普通の人の一ヶ月の給料をこの人は三日で稼ぐんだなと思う。
諸経費もあまり掛からないように見える、なんとか丸儲けというやつか?
でも、実は意外と袈裟代や袈裟クリーニング代など掛かるのかな?とも思う。

悩んだときは会館の人と話す、頼れる人を見つけて任せる。
でどうにか通夜は乗り切った。

葬式の段取りも妹旦那とそのお父さんが段取りしてくれたのと
心労で眠れなかった妹がやっと寝られたことで
葬式前日にやっと安心して母の死を泣くことができた。

葬式挨拶の文面を母の死体の隣で推敲していると、ふと涙がこみ上げてきて
母に何も成し得た報告ができなかった自分の不甲斐なさに泣いた。
これから二度と親孝行ができなかったことに泣いた。
寂しさに泣いた。

母の遺影がシニカルな半笑いだったので、
遺影を見るたびに母に30超えた男が泣いているのを笑われているように思い
母の叱咤文句を思い出してまた泣いた。

合計3時間近く母の隣で練習しつつ泣いて、治まったらスピーチの練習して
といってもほぼ泣いていたけども疲れて寝た。

葬式自体は淡々と進み低い声を意識した自分の挨拶もわりと好評だった。
もう仕事は無いと思っていたら急に初七日の挨拶を振られた。
用意していなかったのでしどろもどろだった。

生前、賜りますよう、厚誼などを混ぜればどうにか文になることもわかった。

葬式+初七日は終わり、争われる可能性のある財産分与の前哨戦が始りつつある中
二週間の期間が過ぎたので仕事に戻ることとなった。

続けば財産分与編も書きます。

1 2 3 4 5 6 7 >