母葬儀

2012年12月11日 日常
母が亡くなった。以下かなり長いです。
ほぼ備忘録。

時系列にそって書いていく。

某国で日本人と会談中に妹から電話があり「死んだ」との事。
仕事を中断し、上司に忌引きの許可を取る。
来週から取る筈だった一週間の休みと合算し2週間の休みを貰い
次の日の航空機のチケット(高額だったようだ)も手配して貰い
そのまま帰宅。

妹から不審死だったため警察が解剖したいと要請してきたと連絡がある。
許可する。

妹の旦那さんと葬儀についてskypeで話す。
イオンの葬儀サービスを出してきたので、任せられると判断して任せる。

妹もしっかり者だと思っていたが、第一発見者だったため動揺が激しいようだ。

インターネットで葬儀関連を検索し帰国時やらなければならないリストを列記する。
決めるべき点とその許容範囲が広すぎて煩雑すぎる。一人でのコントロールを諦める。

喪服着て、挨拶だけしっかりやれば30代の喪主としてはどうにか及第点だろうと
自分の中で割り切る。妹の旦那さんにほぼ全部任せよう。

次の日帰国。JALだったので日本語圏への移行がスムーズだったように思う。

最寄り駅に妹に迎えに来てもらう
廊下で低血糖で倒れ冬の寒さで凍死したとの検死結果を受ける。

確かに日本の寒さは室内の廊下でも死にそうだなと思う。
これも孤独死の一つなのかな?とか、
老人が息子夫婦と同居したいわけなども理解できた。

たしかに誰かと同居していれば倒れた物音でわかっただろう
低血糖で倒れている間少しは海外に送り出した息子や、
近くに住む娘夫婦の事なども頭をよぎったろうなと思う。

ニートのように一緒に暮らす母子の方が良かったのかな?などと
少し悔恨の念があったので3歳になる息子が居る妹に尋ねてみた

行ってほしいし、行ってほしくない。半々じゃないの?
と返ってきた。
そんなものかな?なんて思い、少し心が楽になった。

妹のかかりつけ美容師さんに髪を切ってもらう。
思ったよりもイケメンにしてもらった。ありがたい。

妹旦那が通夜の手続きを全てやってくれる。
葬儀会館の進行主任にあいさつは一度きりと伝える。

通夜では行わない。二回分も話のネタがない。
どうせ通夜葬式ともに出席者は同じ。
挨拶は一度だけ、ハズレなし鉄板のをやろう。

通夜はほぼ出席しただけ。
下を向いて来て戴いた方と話して、それで終わり。

お願いしたお寺さんは尼さんだった。男勝りだった母にはいいかもしれない。
お寺さんに20万渡す。通夜+戒名代+葬式+初七日分。
相場からすれば破格の安値だということだけど良くわからない。
普通の人の一ヶ月の給料をこの人は三日で稼ぐんだなと思う。
諸経費もあまり掛からないように見える、なんとか丸儲けというやつか?
でも、実は意外と袈裟代や袈裟クリーニング代など掛かるのかな?とも思う。

悩んだときは会館の人と話す、頼れる人を見つけて任せる。
でどうにか通夜は乗り切った。

葬式の段取りも妹旦那とそのお父さんが段取りしてくれたのと
心労で眠れなかった妹がやっと寝られたことで
葬式前日にやっと安心して母の死を泣くことができた。

葬式挨拶の文面を母の死体の隣で推敲していると、ふと涙がこみ上げてきて
母に何も成し得た報告ができなかった自分の不甲斐なさに泣いた。
これから二度と親孝行ができなかったことに泣いた。
寂しさに泣いた。

母の遺影がシニカルな半笑いだったので、
遺影を見るたびに母に30超えた男が泣いているのを笑われているように思い
母の叱咤文句を思い出してまた泣いた。

合計3時間近く母の隣で練習しつつ泣いて、治まったらスピーチの練習して
といってもほぼ泣いていたけども疲れて寝た。

葬式自体は淡々と進み低い声を意識した自分の挨拶もわりと好評だった。
もう仕事は無いと思っていたら急に初七日の挨拶を振られた。
用意していなかったのでしどろもどろだった。

生前、賜りますよう、厚誼などを混ぜればどうにか文になることもわかった。

葬式+初七日は終わり、争われる可能性のある財産分与の前哨戦が始りつつある中
二週間の期間が過ぎたので仕事に戻ることとなった。

続けば財産分与編も書きます。

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